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トピックス

御見舞い

今回の巨大地震に見舞われ、甚大な被害を受けられた皆様に、

心からお見舞い申し上げますとともに、

亡くなられた皆様に、心よりお悔やみ申し上げます。

 

                       ハッスル株式会社一同

 

 

 
ヨコハマのこだわり 3

旧花園橋の親柱は、

今では港中学校の卒業生にエールを贈る門出のゲート

 

大岡川と中村川の間に関内と関外を隔てる、決してきれいとは言えない川が流れていたのをご記憶の方は、四〇歳以上のハマっ子だろう。

この川の名前は「派大岡川」。

ここに架かる橋の名前を言えるとなると、五〇歳以上のハマっ子と推測する。

中村川側方向から無くなった橋の名前をあげると、

「柳橋」「羽衣橋」「豊国橋」「湊橋」「花園橋」「吉浜橋」。

さて、今回の不思議の主役はこの「花園橋」の親柱である。

この花園橋の歴史は、かつての町名からきている。その町名の由来は彼我公園(現横浜公園)の花壇ではないかと言う説がある。花園橋は、明治9年に、現ガーデンホテルと横浜家庭裁判所の間に、木製の橋として竣工し、明治21年には鉄橋に改築されて、関東大震災で壊れたが再び蘇り、その後昭和の激動を生き抜いた復興橋梁として永くハマッ子に愛されたが、昭和48年に高速道路建設に伴い、その役割を終えている。

この花園橋の親柱、移設の理由は不明だが、中華街西門のところにある横浜市立港中学校の門柱として、第2の人生を歩んでいる。港中学の生徒や保護者、週末に中華街に訪れる観光客にとっては、すでにまちの一部である。


元 花園橋の親柱 今は湊中学校の門柱上部はステキなデザインです。


この親柱は、よく見ると、実にモダンな形をしている。門柱の上にそびえるみどりの多面型の電燈、形は、優しい曲線を使いながらもずっしり重厚感があり、港都ヨコハマのモダニズムを感じさせる。現在、文化庁の「登録有形文化財」にもなっている。

港中学も明治の初期から「横浜小学校」として横浜の文化・経済を背負う逸材を輩出してきた名門である。

現校長である大島文夫先生にこの門柱について聞いてみた。

「この門は普段は閉まっていますが、わたしが赴任してきてから、卒業生を送り出すときだけに開門をする特別な『門出のゲート』としてその役割を担ってもらっています。」と語ってくれた。

横浜の繁栄を百年以上支えて、関内と関外を朝夕往来するハマッ子にエールを贈り続けた花園橋の親柱。現在は、横浜の将来を背負う子供たちにエールを贈る門柱として立派に役割を全うしていることは、実に不思議なめぐりあわせてある。

小嶋 寛

 

 
ハッスル白夜行

ハッスルには、日々現場を支えてくれる人がいる。その中で、看板や舞台を作るスタッフとしていつも支えてくれている通称健(ケン)ちゃん。本名は、「たけし」らしい。

健ちゃんの仕事は、美術施工。陽が昇る前に彼の仲間と現場に入り、本番が終わったら、片付けにはいる。ハッスルの業務が太陽ならば完全に月に徹してもらい、現場が日々回っている。

彼の実家は100年前ヨコハマの本牧で、花屋として創業。それに付随して施工関係に業種を広げ、明治・大正・昭和の初期の時代は、横浜港で船の進水式を手がけたという。現在はおまつりのテントなど会場を設営したり、看板を製作しているが、昔のよしみで「お酉様」のテント張りなどもしている。

健ちゃんを小嶋が可愛がるのには訳がある。10年前、ハッスルを支えてくれた彼のお父さんが亡くなる前に、息子を頼むと言われ、これを僕は守っている。

でもお父さんは、すごい借金を息子に残して亡くなってしまった。

健ちゃんと僕は、小説「白夜行/東野圭吾」の2人の主人公の関係に似ている。仕込には早朝ぼろぼろのトラックでやってきて、準備をして、本番中はほとんどテントの裏でタバコをくゆらし、僕がお疲れ様会をしている頃は、仕事で片付けに汗を流している。ゆえに一緒に酒を飲んだことがない。

健ちゃんは、冬でも靴下をはかずにスニーカーの踵をふんずけて現場に臨む。背広姿など一度も見たことがない。

現在は、姉貴と2人で生活をしていて独身。趣味は、パチンコ。だれか経理ができて、このだらしない男を支えてくれるしっかりものの女性はいないか。

ハッスルは25年で大変だったのに、彼は4代にわたり横浜の催事を支えてきたのは、実に驚異である。

健ちゃんいつもお疲れ、ありがとう。僕は君の父の遺言をちゃんと守るぞ!いつもでもハッスルをよろしく。今度、野毛で呑もう。たまにはカラオケいこう!

アクティブイメージ

 
ヨコハマのこだわり 2
万国橋と万国橋SOKO


馬車道から続く万国橋は1940年(昭和15年)完成の橋です。ネーミングは世界中の平和を願いこの橋の名前となったと伝えられています。

 この橋名、第2次世界大戦前夜のカオスの状態、世界中から非難を浴び、帝国主義をかけて中国に侵略していた歴史的背景を考えると『万国橋』となったことになったことは、皮肉なことだとおもいます。

 ハッスルは2007年に橋の袂の「万国橋SOKO」に関内の相生町から引っ越してきました。

 このSOKO、自称クリエイタービル。建築家、ランドスケープ、アニメーター、写真家、デザイナーとなんだかクリエイティブ産業の先端を行くように思えますが、実態は、たこ部屋状態の24時間営業?の人も多数、和気藹々とやっています。

 3年前から、同居者が集まって「横濱万国橋覧会」なるイベントをやっています。ビル全体に映像を投射したり、ジャズLIVEやワークショップ、街づくりのフォーラムを開いたりと、それぞれの得意分野で、「万国橋」界隈を盛り上げる、全社参加型のプレゼンテーションイベントです。

小嶋としては、ここに引っ越してきたことは大変良かったと思っています。25周年を迎え、これだけ刺激的な人たちと同居できて、また刺激しあい、仕事も遊びもこのビル内で完結できることは、他のビルでは考えられないことです。

さて万国橋ですが、ここは横浜夜景のメッカであり、映画・TVのロケ地としても有名です。クリスマスにはみなとみらいの全館点灯を撮ろうとアマチュアカメラマンが群れをなし、朝方にロケに、桑田圭祐・松嶋ななこ・渡哲也などがこの万国橋をバックに撮影に望んでいます。

小嶋は、万国橋の名前がとても気に入っています。なんだか古臭くて帝国主義的な橋名ですが、白々と世界平和をめざしているのが好きです。

「できるものなら世界平和、真剣にやってみろ」と橋が今でも訴えています。この約70年間、この橋の袂で戦勝、港の反映、観光地としての顔、そしてハマっ子にとって様々なドラマがあったんだなと思うと、楽しいかぎりです。

ぜひ皆さん遊びに来てください。

 アクティブイメージ

写真はお隣の森日出夫さんに撮ってもらいました。

みんな良い顔しているでしょ

 

万国橋

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%9B%BD%E6%A9%8B

万国橋壁紙

http://www.yakei-kabegami.com/nightview/14-kanagawa-27-bankokukyou/

横濱万国橋覧会

http://ameblo.jp/bankokuhashirankai/

 

小嶋 寛

 
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