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2011年3月11日(金)の14時46分―。
東北地方と関東を襲った「東北地方太平洋沖地震」は、
私が生まれて初めて経験する激しい揺れだった。
地震を体感したのは、横浜市役所の関内中央ビル3階。
前からこのビルは揺れるのが有名だったが、それにしても、よく揺れた。
帰りがけに見た、関内ホール周辺の地割れにもびっくり。
その後、万国橋SOKOに帰ると、みなとみらい地区に会社のあるHさんが
待っていた。彼は、かみさんの安否を気遣い街中を歩いているうちに偶然
避難したとのこと。余震の中で、その後の連絡に追われていた。
そういえば、私の亡くなった祖母は、大正12年(1923年)9月1日の関東
大震災の体験者で、昔、幼いころの私によく大地震の話をしてくれた。
彼女は、中区山元町で地震に遭遇。始業式の帰りにオデオン座に映画を
観にいく途中だったそうだ。私の中では、彼女が話すヨコハマのまちの壊
滅的な状況が怖くて仕方がなかったのを記憶している。
16時ごろから海水が引いていたのを見ていたが、17時ごろになると、
万国橋SOKOの前の運河の水位がにわかに上昇。津波だった。
3分くらいのうちに、みるみる対岸のプロムナードが水没するのを目の当
たりにして、あらためて津波の怖さを体感した。
翌日の3月12日は、現場(イベント)が入っていたが中止。
13日に実施予定だった現場もすべて中止になった。
この後のゴールデンウィークに企画していたイベントもなくなった。
これでいいのか疑問に感じる。
しかし、大地震で被災された方、現在救助に奔走している地域の皆さん
頑張ってください。
みなさんの頑張りが必ずまちを復興すると願っています。
長丁場になりますが、私たちも、私たちができることを
あきらめないでやり続ける。
明けない夜はないのです。
小嶋 寛
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