Skip to content
 
You are here: Home arrow ハッスルBlog
ハッスルBlog
ヨコハマのこだわり 5 プリント メール

大岡川のさくら咲く  

今日は、朝から天気が良かったので、大岡川沿いを歩いて出勤。

蒔田公園から曙町経由野毛のコースで、約2キロ。

私の出勤コースは主に4ルート。(1)鎌倉街道のバスコース(自転車も同様)、(2)大岡川散歩コース、(3)トレッキング三春台、野毛山コース、(4)稲荷坂平楽町の横浜尾根ロングコースと、多彩である。ただし、夜は、自転車(20分)かタクシー(10分)で帰ることが多い。特に、(2)の大岡川散歩コースは、この季節とてもお気に入りのコースで、春を満喫しながら約一時間で会社に到着する。

この大岡川にはいくつもの橋が架かり、みなとみらいのランドーマークを観ながら、下町の横浜のコントラストが楽しめる。近年、黄金町がアーチスト誘致で様変わりし、新たなまちの顔が登場したこともうれしい限りで、これにあわせて川沿いも歩きやすく整備された。花見のシーズンになると、夜桜を楽しめたり、川を遡上する観光船もまた風情があるが、今年は震災の影響で夜桜はお預けである。

歴史的なポイントもたくさんある。お稲荷さん、井戸、長谷川伸の碑、吉田町の大井戸など、横浜の庶民の文化と息遣いが感じられるのもうれしい。明治中期から、この地区はハマっ子の居住地域として、時代に翻弄されながら発展した場所で、明治期は、イセザキ町の店につとめる人たちの生活の場や職人の町。震災以降は地震と火災で焼け出された人たちの新地。 横浜大空襲でも被害をうけて、何度も立ち上がった地域であると聞いている。戦後は、青線地帯であったり、黒沢映画の「天国と地獄」の舞台の場や、濱マイクシリーズの探偵ドラマのロケ地にもなっている。出稼ぎ外国人や福富町などの歓楽街に勤める女性たちの生活区であったりもする。またフィリピンの人たちのためのキリスト教会などもある。

春のさくらは、日々の生活に追われる人たちにとっても、ひと時の安らぎを与えてくれる「元気の素」だと、改めて感じたのである。(文:小嶋 寛)

アクティブイメージ

アクティブイメージ

 

 
ヨコハマのこだわり 4 プリント メール

さよなら「ナカヤ」

 

万国橋SOKOから歩いて5分の所に定食屋「ナカヤ」はあった。

今日「ナカヤ」に久方ぶりに昼食を食べに行ったら、

 

3月18日をもちまして営業をやめました。

長い間ご愛顧ありがとうございました。

 

と、汚いオヤジの字で黄色い色紙の模造紙に書かれていた。

 

思わず「オヤジ、僕に事前に言ってよ」と1人で叫んでしまった。

僕は、閉店のショックで放心状態になり、

しばらく店の前でタバコをふかしていた。 

すると、さえないサラリーマンが来て、

「オヤジ、俺に事前に言ってよ」と言って、帰っていった。

 

「あいつも同志だな」。

なんだか熱いものが込み上げてきた。

 

「ナカヤ」の定食は700円で、おかずの種類が豊富。

味はものすごく濃く、女性と関西出身者には敬遠されがちだが、

僕は気に入っていた。

メインのおかずを7品目の中から選び、

8種の小付けから一品好きなものを選び、

塩気の効いた漬物とやわらかいご飯に

具のあまり入っていない、濃い、冷めた味噌汁が出てくる。

僕は2度揚げしてくれる硬い天ぷらが好きで、

小付けは甘い玉子焼きが好きだった。

これで700円。

レジで清算を済ますと、

目が笑っていないおばさんが50円割引券をくれる。

つまり次回から650円で食べられるのだ。

夜は1,000円で晩酌セットがあり、

ビールと3品の選べないつまみがでる。

閉店は21時

オヤジは無口でにこやか。

従業員は、中国人のおねーさんと、年老いたおばさん、

そして、目が笑っていないおばさん。

 

正に定食屋であった。

 

定食屋ファンの僕は、ここ数年、悲しい思いをし続けている。

中区・南区のお気に入りの定食屋が

この数年の間に5軒は潰れた。

 

横浜の中心部は港のおじさんのまちでもある。

昔、前田陽一監督の『虹をわたって』という松竹映画があった。

主演の天地真理が、

お弁当をタグボートで配達するシーンがあった。

昭和の時代、中村川沿いの夕刻の定食屋は

いつも港で働く男たちの憩いの場でもあった。

 

「ナカヤ」は、その流れを確実に継承している

僕にとって港・横浜の定食屋の王道であった。

 

涙がこぼれてきた。

 

そういえば、「ナカヤ」での最後の晩餐は、

めざらしく熱い鉄板の上の

さめたサイコロステーキだったな。

 

僕はオヤジに「650円じゃ、あわないね。」といったら

「たまにはね。」と返してくれた。

 

オヤジ、本当にホントに、僕の「港・横浜」をありがとう。

 

                       小嶋 寛

 

 
この横浜で僕らにできること プリント メール

 それは横浜から元気のエールを発信すること

 

今回の大震災で、多くの方が被害を受け、

悲しい思いをされている。

とても悲しい辛い出来事である。

 

 

みなとみらい21地区の3月の定例イベント連絡会では

被災状況について各施設から報告があったが、

地震の被害よりも経済的なダメージの方が大きいように思える。

横浜中華街は、昼時は混んでいても夜は寂しく、

モトマチも同じである。

計画停電の影響もあり、本当に暗い気持ちが

ますます暗くなる一方である。

 

そして、イベントの自粛ムード。

不況の中、頑張ろうという気持ちが

一気に冷え込み、春が遠のいた気がする。


 

このままでいいのだろうか。

TVをみてもめげるし、友人と飲んでいても自粛である。

本来僕らがこんな状況でじっとしていては、

何も始まらないし、被災された方に元気を送れないでははいか!

東北の大津波で多くの友人や家族・愛する人をなくされた方に

今こそ横浜から元気を発信したい。

これが今の本音である。

 

少し前になるが、3月24日、

野毛の萬里(餃子の銘店)の福田さんのところで夕ご飯を食べた。

ここだけは満席で、なんだか元気をもらった。

福田さんは野毛大道芸の仕掛け人。

今回の地震の翌日には関係者に

「ヨコハマ大道芸は開催します」と早々と宣言した。

「右手に義援金・左手に投げ銭を」

福田さんの一流のウイットに富んだ元気の出るキャッチコピー。

 

サア! 被災者の皆さんへの様々な支援活動に取組もう。

そして僕らから、ネガティブマインドをポジティブにして

横浜の元気をアクセル全開にして取り組もう!

さくらの開花はもうすぐだ!

ヨコハマの元気は被災者の皆さん、そして停滞気味の日本を

必ずや元気にすると信じている。

立ち止まらずに進もう。

 

そんな中、4月2日・3日、市民団体の皆さんと桜木町駅前の

コレットマーレで義援金募集のためのイベントを開催した。

このパワー、次につなげていこう。

                      小嶋 寛

 

自由演奏会に150人 被災地に向け披露(Asahi.com)

 

 

 
ヨコハマ大道芸2011開催決定! プリント メール

 

今回の大震災被害を受けられた皆様にお見舞い申し上げるとともに、

亡くなられた方々にはご冥福をお祈りいたします。

ヨコハマ大道芸実行員会(実行委員長今井大)は、2011年4月16日(土)、

17日(日)の2日間、みなとみらい21地区、イセザキ地区、吉田町地区において

「ヨコハマ大道芸2011」の開催を決定しました。

 

横浜の春の風物詩となりました「ヨコハマ大道芸」の今年の見どころは、

昨年、浅草サンバカーニバルで優勝した『エスコーラ・ヂ・サンバ・サウーヂ』。

みなとみらい21地区に出演します。また桜木町駅前エリアでは中国雑技や

ベリーダンスなど華やかな演技でお客様をお迎えします。

吉田町ではジャズとアート、イセザキでは迫力の綱渡りや、笑いがあふれる

コメディーパフォーマンスが満載です。

 

横浜市内のイベントが自粛の中、ヨコハマ大道芸は、横浜の元気を少しでも

被災地に届けることができたらと考えました。

開催当日は、各会場とインフォメーションで「東北関東大震災」により被災された

方々への義援金募金を行い、出演者の好意により投げ銭の一部も義援金に

したいと考えます。

集まった義援金は横浜市を通して被災地に寄付し、被災地の早期の復旧および

復興を心よりお祈する次第です。

 

                        ヨコハマ大道芸実行委員会 リリースより転載

 


 

弊社ハッスル株式会社は、これまでもヨコハマ大道芸の運営に

関わってきました。

今回の震災の復興は、長丁場で取り組む必要があります。

私たち自身も体力をつけ、被災地の経済面だけでなく、

心の安らぎを継続的に支援していくことが、

私たちにできることだと考えます。

ぜひ、多くの方にお越しいただき、盛り上げていきたいと思います。

 

詳細はこちら↓

ヨコハマ大道芸2011

続きを読む...
 
地震をこの目で見た プリント メール

2011年3月11日(金)の14時46分―。

東北地方と関東を襲った「東北地方太平洋沖地震」は、

私が生まれて初めて経験する激しい揺れだった。

 

 地震を体感したのは、横浜市役所の関内中央ビル3階。

前からこのビルは揺れるのが有名だったが、それにしても、よく揺れた。

帰りがけに見た、関内ホール周辺の地割れにもびっくり。

その後、万国橋SOKOに帰ると、みなとみらい地区に会社のあるHさんが

待っていた。彼は、かみさんの安否を気遣い街中を歩いているうちに偶然

避難したとのこと。余震の中で、その後の連絡に追われていた。

 

 そういえば、私の亡くなった祖母は、大正12年(1923年)9月1日の関東

大震災の体験者で、昔、幼いころの私によく大地震の話をしてくれた。

彼女は、中区山元町で地震に遭遇。始業式の帰りにオデオン座に映画を

観にいく途中だったそうだ。私の中では、彼女が話すヨコハマのまちの壊

滅的な状況が怖くて仕方がなかったのを記憶している。


 16時ごろから海水が引いていたのを見ていたが、17時ごろになると、

万国橋SOKOの前の運河の水位がにわかに上昇。津波だった。

3分くらいのうちに、みるみる対岸のプロムナードが水没するのを目の当

たりにして、あらためて津波の怖さを体感した。

  2011年3月11日17時頃 万国橋横 赤レンガプロムナード

 翌日の3月12日は、現場(イベント)が入っていたが中止。

13日に実施予定だった現場もすべて中止になった。

この後のゴールデンウィークに企画していたイベントもなくなった。

これでいいのか疑問に感じる。


しかし、大地震で被災された方、現在救助に奔走している地域の皆さん

頑張ってください。

みなさんの頑張りが必ずまちを復興すると願っています。

長丁場になりますが、私たちも、私たちができることを

あきらめないでやり続ける。

 

明けない夜はないのです。

                                      小嶋 寛

 

 

 

 

 
御見舞い プリント メール

今回の巨大地震に見舞われ、甚大な被害を受けられた皆様に、

心からお見舞い申し上げますとともに、

亡くなられた皆様に、心よりお悔やみ申し上げます。

 

                       ハッスル株式会社一同

 

 

 
<< 最初 < 戻る 1 2 3 4 5 次へ > 最後 >>

結果 11 - 20 of 48